終戦日を迎えて思うこと。 [雑文]
終戦日を迎え、新聞や雑誌、テレビ番組、インターネットのポータルなどで
先の大戦をふりかえる特集がくまれている。
原子爆弾で壊滅した広島と長崎(終戦特集2008)
それら記事には、戦勝国に対する非難はひとつもないのがほとんどである。
だが考えて欲しい。
自国が巻き込まれた戦争である。
自分達の国が焼かれ、多くの国民が殺されたのである。
敗戦国とはいえ、戦勝国に対してもの申すことがひとつもないというのは
おかしくはないだろうか。
特に、非戦闘員である一般市民を無差別大量虐殺した2発の原子爆弾投下の記事にさえ、
アメリカへの非難がまるでないという状況は、一体全体どうなっているのか。
だれをおもんばかっているのか?
アンタッチャブルな話題なのか?
本当に疑問でならない。
まるで敗戦国は戦勝国のそのやりように対して口を開くな、という風だ。
その理屈は「死人に口なし」と同じ、大変乱暴な理屈だと私は思う。
到底同意できるものではない。
× × ×
若者の過剰なナショナリズムへの傾倒傾向――。
最近、マスコミや大学教授の先生達が危惧していることのひとつだと云う。
だがそれは断じて違うと私は思う。
先の大戦をふりかえる度に自虐する現在のマスコミ報道や
日本政府の戦勝国への対応に対して、若者が微妙な反応をするのは当然なのである。
現代の若者はあくまでニュートラルだ。
単純に、あまりにも自虐的でアンフェアな報道に対するまっとうな拒否反応なのだと私は思う。
「敗者が文句を云うとは何事か」
日本古来から伝わる武士道精神に乗っ取れば、
そういうことなのかもしれない。
だがいま若い世代には、戦後の欧米的な思想が流れ込み、
あいにく武士道精神等は持ち合わせていないのだ。
× × ×
それにてしても。
本来であれば敗戦における国民の憤怒は、戦勝国に向けられる筈なのに、
日本国民にはその傾向があまりない。
それは日本のマスコミや、教師、日本政府の一部の高官達が
国民の憤怒の矛先を戦勝国に向かわせずに、
日本国軍部に限定して向かわせることに成功させたからだと私は推測する。
何故なら敗戦国の国民の憤怒の矛先が戦勝国に向かってしまうことこそが、
「戦争の螺旋」を形成させる大きな要因だからだ。
それは歴史が証明している。
だから戦後マスコミがとった国民の憤怒を軍部限定に向ける施策は、
「戦争の螺旋」の形成を破壊させる為には、大変意味があり、
大変効果があったことだったと私は評価している。
だが。
ここにきて、戦後マスコミが勘違いをし始めて
一部機能を暴走させている気がしている。
これは大変危険なことだ。
「戦争の螺旋」を破壊するためにうったマスコミの施策も
行き過ぎれば新たな「戦争の螺旋」を引き起こす。
自国の自我を否定し続ければ、自国の自我を取り戻すために
新たに「戦争」を引き起こす――これもまた歴史が証明している事である。
現在、日本はあまりにも自国の自我を否定し続け
この段階に突入しかかっている。
× × ×
いま、マスコミがするべきことは、ひとつ。
先の大戦で犯したマスコミの過ちを
断罪する番組や記事を国民に示すこと。
当時、国民に対して正しい情報を提供できず、
民意を誘導してしまったマスコミの罪を、マスコミ自らが断罪し、追求、自戒する番組を
発表することだと思います。
当時の日本は、北朝鮮のような一元首による独裁国家だったのか?
民意は反映されていなかった政府だったのか?
それは違います。
いまと違えど民主主義にのっとり、選挙で国民に選ばれた政府高官が、
この国の舵を握っていた――つまり当時の民意が先の大戦を引き起こしたのです。
そして当時の民意を形成させたのは、マスコミ各社(特に新聞が)が
書いた記事であることは疑いない事実。
つまり先の戦争は、マスコミが引き起こした戦争です。
マスコミが戦争を引き起こす――
残念ながらこれも歴史が証明しているひとつ事実なのです。
私はマスコミが自戒している記事や番組を、昨今見たことがありません。
軍部を叩くことで、戦勝国にこびへつらう記事や番組をつくることで
過去自分達が犯した咎が、贖罪されているつもりになっていないでしょうか?
いささか、それはムシがいい話であると感じます。
どうか来年の終戦日には、そんな番組が放映されていたり、
そんな記事を新聞や週刊誌で読めることを期待しています。
そんなことを終戦日の昨日、考えていました。
最後に。
お爺ちゃん、お婆ちゃん、命を紡いでくれてありがとう。
おかげで、私は今、生きています。
長生きしてね。
先の大戦をふりかえる特集がくまれている。
原子爆弾で壊滅した広島と長崎(終戦特集2008)
それら記事には、戦勝国に対する非難はひとつもないのがほとんどである。
だが考えて欲しい。
自国が巻き込まれた戦争である。
自分達の国が焼かれ、多くの国民が殺されたのである。
敗戦国とはいえ、戦勝国に対してもの申すことがひとつもないというのは
おかしくはないだろうか。
特に、非戦闘員である一般市民を無差別大量虐殺した2発の原子爆弾投下の記事にさえ、
アメリカへの非難がまるでないという状況は、一体全体どうなっているのか。
だれをおもんばかっているのか?
アンタッチャブルな話題なのか?
本当に疑問でならない。
まるで敗戦国は戦勝国のそのやりように対して口を開くな、という風だ。
その理屈は「死人に口なし」と同じ、大変乱暴な理屈だと私は思う。
到底同意できるものではない。
× × ×
若者の過剰なナショナリズムへの傾倒傾向――。
最近、マスコミや大学教授の先生達が危惧していることのひとつだと云う。
だがそれは断じて違うと私は思う。
先の大戦をふりかえる度に自虐する現在のマスコミ報道や
日本政府の戦勝国への対応に対して、若者が微妙な反応をするのは当然なのである。
現代の若者はあくまでニュートラルだ。
単純に、あまりにも自虐的でアンフェアな報道に対するまっとうな拒否反応なのだと私は思う。
「敗者が文句を云うとは何事か」
日本古来から伝わる武士道精神に乗っ取れば、
そういうことなのかもしれない。
だがいま若い世代には、戦後の欧米的な思想が流れ込み、
あいにく武士道精神等は持ち合わせていないのだ。
× × ×
それにてしても。
本来であれば敗戦における国民の憤怒は、戦勝国に向けられる筈なのに、
日本国民にはその傾向があまりない。
それは日本のマスコミや、教師、日本政府の一部の高官達が
国民の憤怒の矛先を戦勝国に向かわせずに、
日本国軍部に限定して向かわせることに成功させたからだと私は推測する。
何故なら敗戦国の国民の憤怒の矛先が戦勝国に向かってしまうことこそが、
「戦争の螺旋」を形成させる大きな要因だからだ。
それは歴史が証明している。
だから戦後マスコミがとった国民の憤怒を軍部限定に向ける施策は、
「戦争の螺旋」の形成を破壊させる為には、大変意味があり、
大変効果があったことだったと私は評価している。
だが。
ここにきて、戦後マスコミが勘違いをし始めて
一部機能を暴走させている気がしている。
これは大変危険なことだ。
「戦争の螺旋」を破壊するためにうったマスコミの施策も
行き過ぎれば新たな「戦争の螺旋」を引き起こす。
自国の自我を否定し続ければ、自国の自我を取り戻すために
新たに「戦争」を引き起こす――これもまた歴史が証明している事である。
現在、日本はあまりにも自国の自我を否定し続け
この段階に突入しかかっている。
× × ×
いま、マスコミがするべきことは、ひとつ。
先の大戦で犯したマスコミの過ちを
断罪する番組や記事を国民に示すこと。
当時、国民に対して正しい情報を提供できず、
民意を誘導してしまったマスコミの罪を、マスコミ自らが断罪し、追求、自戒する番組を
発表することだと思います。
当時の日本は、北朝鮮のような一元首による独裁国家だったのか?
民意は反映されていなかった政府だったのか?
それは違います。
いまと違えど民主主義にのっとり、選挙で国民に選ばれた政府高官が、
この国の舵を握っていた――つまり当時の民意が先の大戦を引き起こしたのです。
そして当時の民意を形成させたのは、マスコミ各社(特に新聞が)が
書いた記事であることは疑いない事実。
つまり先の戦争は、マスコミが引き起こした戦争です。
マスコミが戦争を引き起こす――
残念ながらこれも歴史が証明しているひとつ事実なのです。
私はマスコミが自戒している記事や番組を、昨今見たことがありません。
軍部を叩くことで、戦勝国にこびへつらう記事や番組をつくることで
過去自分達が犯した咎が、贖罪されているつもりになっていないでしょうか?
いささか、それはムシがいい話であると感じます。
どうか来年の終戦日には、そんな番組が放映されていたり、
そんな記事を新聞や週刊誌で読めることを期待しています。
そんなことを終戦日の昨日、考えていました。
最後に。
お爺ちゃん、お婆ちゃん、命を紡いでくれてありがとう。
おかげで、私は今、生きています。
長生きしてね。